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私が受付嬢になったワケ

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【元受付嬢CEOの視線】私が受付嬢になったワケ 上場企業5社を経験、120万人の来客対応をした「受付人生」 (1/5ページ)
2017.8.25 07:00 プッシュ通知 メッセンジャー登録
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 初めまして。ディライテッド株式会社代表取締役CEOの橋本真里子と申します。

 弊社では、企業の受付業務を効率化するクラウド型受付システム「RECEPTIONIST」の開発・提供・運営をしています。

 私はもともと“企業の受付嬢”でした。大学卒業から11年間、上場企業5社で受付嬢として働いてきたのです。USENやミクシィなど名だたる企業でキャリアを積み、11年間で対応した来客数はなんと120万人以上。

 そんな中、現場にいて見えてきた受付業務の課題をなんとか解決したいと思い始め、2016年1月にディライテッドを創業しました。

 受付嬢から起業家へ--。私にとっては自然な流れでしたが、皆さんにはよく驚かれます。たしかに「企業の受付嬢」と「起業」って結びつきづらいですよね。連載第一回の今回は、私が起業に至った経緯の前に、これまでの受付人生について、自己紹介代わりにお話しできればと思います。

ディライテッド株式会社の橋本真里子CEO
ディライテッド株式会社の橋本真里子CEO

私が受付嬢になったワケ

 現在35歳の私は、三重県鈴鹿市で生まれ育ちました。意外かもしれませんが、中高時代はソフトテニスの部活にはげむ体育会系女子だったのです。武蔵野女子大学(現・武蔵野大学)への進学にともない上京しました。

 就職活動が本格化する4年生で、私も進路に向き合うことになりました。ですが、大学在学中に就職活動をすることはありませんでした。自分が何をやりたいのか分からなかったのです。大学卒業してから1年間は、アパレル販売員や家庭教師といったアルバイトをしながら自分探しをしていると、「自分は人と接することが好き」ということが見えてきました。さらに企業で働くことを意識し始めたことで、ビジネスマナーを徹底的に身につけられる職種の「企業受付」へとたどり着いたのです。

 2005年に、トランスコスモスにて受付嬢としてのキャリアをスタートさせました。受付スタッフが10名近くいる大規模な体制のもと、仕事をバリバリこなす先輩たちに囲まれて“受付嬢デビュー”。しかし、早くも“想像以上な裏側”に直面することになったのです。

橋本さん(中)。トランスコスモスの先輩が起業のお祝いをしてくれた様子。
橋本さん(中)。トランスコスモスの先輩が起業のお祝いをしてくれた様子。

本当は楽じゃない受付業務

 一般的に「受付業務は来客を案内し、お茶を出し、見送るだけ」と思われているかもしれませんが、実はそれ以外の仕事がとても多いのです。例えばお茶出しひとつ取っても、来客の役員の顔と名前を全て暗記し、さらに役職順に対応するのが基本です。とにかく覚えることが非常に多くてはじめは苦労しました。

 さらに、当時は派遣社員として入社しましたが、派遣だろうと契約だろうと求められるのは一流レベルでした。先輩からハードな指導が続いた日もありますが、そんな厳しい教育方針は「プロ意識」の裏返し。ここで受付としての心得や基礎を学び、この仕事を愛するようになりました。



 いつの間にかサブリーダーまで上り詰めていた私は、「もっとこの仕事を極めたい」と思い、違った環境に飛び込もうと転職しました。そこで出会ったのがUSENです。

受付業界では有名なUSENに転職

 USENの受付は、業界では有名でした。なぜなら、USENの受付嬢はとにかく「美人」と評判だったからです。また、企業受付はどこの会社も「派遣社員」「契約社員」が大半ですが、当時のUSENの受付は「正社員雇用」ということもよく知られていました。受付嬢からすると「美人」が働く「正社員雇用」のUSENは憧れの職場だったのです。本社移転のタイミングでオープニングスタッフを募集していたので、またとないチャンスだと思い応募し、無事に採用されました。

 前職では歴代の先輩たちが作り上げた体制に“飛び込む”というスタートでしたが、USENでは自分たちがゼロから環境作りをしていかなければなりません。その上、10名以上のスタッフを有する大所帯。そこで初めてリーダーを任されることになり、土台固めのためにとにかくいろんな業務をこなしました。メンバーの先頭に立ち、仕組み作りを率先して進めたここでの経験が活かされて、のちに起業する際ではリーダーシップを発揮することができたのかもしれません。

USENを1年で辞めた理由

 そんな希望と刺激にあふれる職場を1年で辞めることになりました。父の病気が発覚したのです。


「平日は都内、週末は三重」と仕事を続けながら実家に行き来する日々を続けていましたが、そんな生活もとうとう限界を迎えます。真正面から仕事の話をする機会があまりありませんでしたが、受付業界で奮闘している私のことを陰ながら応援してくれていた父。そんな家族の期待にも応えていた誇らしい仕事でしたが、「父との時間は限られている」と悟った私はUSENを退職する決断を下したのです。

 まもなく父は旅立ちました。しばらくは母のそばで生活し、日常が少しずつ戻って来た頃、「受付の仕事をまた続けたい!」とまた意欲がわいてきました。

 そして、受付嬢として3社目となった新天地は、国内最大の“和製SNS”として隆盛を極めたミクシィ。ここで、自分のキャリアを見直すターニングポイントともなった3年半を過ごすことになったのです。

「受付嬢」は、一生は続けられない職業

 ミクシィの受付は2名体制と、前職に比べると小規模な受付。来客数は多かったものの、ゆったりとお迎えできる環境でした。

 とても働きやすく恵まれた職場でしたが、20代後半の私は自分のキャリアをふり返ることが増えていきました。「どんなことをしたの?」「転職先では新たにどういうスキルを身に着けたの?」と聞かれたときに、自分じゃないと生み出せない価値を提供できていないと考え始めたのです。

 さらに「受付嬢」という職種についても考えさせられる期間となりました。受付嬢の仕事は、残念ながら現状では一生続けられる職種ではないのです。募集要項には年齢制限が設けられることも少なくありません。そんな背景もあってか、秘書やアシスタントへ早々と転身する仲間も多いのです。

自分のキャリアと向き合い直し、私は30歳になっていました。「受付の現場としてのキャリアはここが最後」と決意しGMOインターネットに転職することになりました。業種、ポジション、受付規模…なにをとっても「自分はここで働くためにキャリアを積んできたんだ。受付の集大成だな」と思える理想の職場でした。

 しかし、GMOでの職務が、私の受付人生の中で一番苦労することになるとは思ってもいませんでした…。

 さて、次回9月8日の更新ではいよいよ起業への転機についてお話します。なぜCEOに転身したか、起業にあたりどんな思いがあったか--。ぜひ次回もお楽しみに。
最後の現場は「とにかくひどかった」… 34歳で一念発起、元受付嬢が“独学”で起業できた理由
9/8(金) 7:30配信 SankeiBiz
最後の現場は「とにかくひどかった」… 34歳で一念発起、元受付嬢が“独学”で起業できた理由
橋本真里子さん(写真:フジサンケイビジネスアイ)
 こんにちは。受付嬢から起業家に転身したディライテッドCEOの橋本真里子です。これまでの私の受付嬢人生についてお話した前回に引き続き、第二回の今回は、キャリアの集大成となったGMOインターネットでの経験を紹介します。実はここでの経験があったからこそ後の起業へとつながったのです。

 GMOインターネットは、102社(2017年6月時点、連結)からなる巨大ITネットワーク「GMOインターネットグループ」の代表企業。勤務先の超高層オフィスタワーには約2000名の従業員。GMOインターネットと契約を交わした私でしたが、実際はさらに大役の「グループ総合受付」として就業しました。受付嬢として一番長く勤め、学ぶことが非常に多い環境でした。今ではGMOインターネットには本当に感謝しています。

 ですが、入社してまず感じたことはこうでした。「とにかくひどい」。

◆とにかくひどかった受付現場

入社当時の受付スタッフは計4名。受付リーダーを長年務めていた方が退職し、後釜を探していたGMOインターネットが私のキャリアに目をつけてくれたのです。

 入社してまず感じたこと。それは「とにかくひどい」でした。なにがひどいかと言うと「モチベーションが低い」「ビジネスマナーがなってない」「リーダー不在によるわがまま放題」-。受付として会社の最前列に立っている意識が全くなかったのです。スタッフからは社会人としての自覚すら感じられません。しかし、同時に「リーダーとしてこの全てを改善する」と覚悟を決めました。

 モチベーションを上げるには、前々職のUSENでの経験が生きました。当時、USENの受付は6名体制。固定メンバーが4名、残り2名はグループの芸能事務所からアルバイトとして日替わりで派遣されていました。このような体制下で意思統一を図るのは至難の業。GMOインターネットの受付嬢のモチベーションが上がらない様子を見て、「見たことがある光景だな」とその当時を思い出しました。

 まずはスタッフとコミュニケーションを取り、それぞれの個性をつかむ努力をしました。次にスタッフの中で自分が一番働くようにしました。自分の説得力が増しますし、受付一人が変わるだけでも社員やお客様が受ける印象は違ってくるからです。

 ときには理不尽な思いをすることもありました。あることないことを言われたり、新方針に共感できないメンバーが去っていったり、組織を改革するのは簡単ではありませんでした。

 でも、それ以上にやり甲斐がありました。「この現場に必要とされている」「これまでのスキルが今の自分を支えている」と毎日身に沁みて感じていたから仕事を続けられたのです。

 いつのまにかストレスも消え、協力してくれた仲間たちと理想的な受付を作り上げることができました。社員やお客様からも「とてもいい受付だね」と声を掛けてもらうようになり、リーダーとしての役目を果たせた達成感に満ち溢れました。「もう私がいなくても大丈夫だな」。そして次のキャリアを考え始めたのです。

◆起業は「独学」 無縁のビジネス用語…それでも投資家と会え!

 私の受付人生を振り返ったときに「もう10年になるのか」と思いました。前回も触れましたが、一般的に「受付嬢」は、一生は続けられません。秘書やアシスタントへの転身も多く、私が一緒に働いてきた仲間でも10年以上続けている人はいません。10年続けてきた私のキャリアは大変貴重なのです。

 この“日本一”のキャリアは、これまで勤めた企業の社員、受付対応したお客様、ともに働いた仲間らに支えられて築けました。「私もみんなの役に立ちたい」「みんなに恩返しがしたい」-。この一心で、社会に貢献できる事業を立ち上げようと決めました。

 起業のタネは意外と近くに落ちていました。現場に立っていたことから、受付業務の改善点や効率化ポイントがあちこち目についていた私は、これらの課題を解決できないかと考えました。「誰もやらないなら私がやるしかない」。

 起業は会社勤めと並行して「独学」で進めました。IT系企業の受付だった私は、幸運なことに「起業家」「ベンチャー」といった環境がとても身近にありました。業務時間外はとにかく起業家や投資家に会い、徹底的に情報を集めたのです。そこでも「資本政策」「資金調達」など受付嬢とは無縁のビジネス用語が飛び交います。会話についていけるよう、空いた時間はネットでの情報収集も欠かしませんでした。

 あとは起業に家族は同意したのか、気になるところだと思います。実家はサラリーマン家庭でしたし、すごく心配されたり、止められたりするのだろうなと早合点していました。なので、会社を登記し、GMOインターネットも退職する態勢を整えてから報告しました。「相談」ではなくあくまで「報告」です。(笑)

 予想に反して、家族はすんなり受け入れてくれました。きっとこれまでの仕事への姿勢を見ていてくれたからでしょう。

 起業すると決めてからは、とにかく発信し続けました。「起業しました」「こういうことをやります」「仲間を集めてます」といったことです。

 自分一人で漕ぎ出した小さな舟です。自分一人でできることなんて微々たるものです。自分を支えてくれて、実現したい世界に共感してくれる仲間が必要でした。仲間と言っても社員だけでなく、応援してくれる起業家や投資家も仲間です。そう言った仲間をどれくらい集められるかが、起業のスタートを切るのにとても重要だと思います。

 いよいよ、私の小さな舟に乗ってくれる「仲間集め」を始めました。長くなりそうなので、つづきは次回にお話しますね。

【プロフィル】橋本真里子

 はしもと・まりこ ディライテッド株式会社代表取締役CEO。1981年11月生まれ。三重県鈴鹿市出身。武蔵野女子大学(現・武蔵野大学)英語英米文学科卒業。2005年より、トランスコスモスにて受付のキャリアをスタート。その後USEN、ミクシィやGMOインターネットなど、上場企業5社の受付に従事。受付嬢として11年、のべ120万人以上の接客を担当。11年という企業受付の現場の経験を生かし、もっと幅広い受付の効率化を目指し、16年1月にディライテッドを設立。17年1月に、クラウド型受付システムRECEPTIONISTをリリース。

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